【合格体験記】スポーツの原点から医学へ──優吾くんが歩んだ合格までの道(山梨大学 医学部)

大学入試

こんにちは、スカイ予備校の校長、五十嵐です!

幼い頃のケガから芽生えた「医師になりたい」という思い。そのきっかけを力に変えて、優吾くんは山梨大学医学部への合格を果たしました。部活動に励みながら、怪我を乗り越え、自分なりの戦略で合格を勝ち取った姿は、多くの受験生にとって大きなヒントになるはずです。

記事の監修者:五十嵐弓益(いがらし ゆみます)

【全国通信教育】最短合格オンラインのスカイ予備校 校長
■小論文指導歴27年
これまでに指導した生徒は4000人以上、独自のSKYメソッドを考案で8割取る答案の作り方を指導。

2020年4月から、完全オンラインの大学受験予備校となる。過去3年間で国公立大学合格85名。

高1から入会者は国公立大学合格率93%

高2から入会者は国公立大学合格率86%

高3の4月から入会者は国公立大学合格率73%

スカイ予備校の指導方針は、「大人になっても役に立つ勉強法の習得」です。「自分の人生は自分で切り拓く」教育をします

スポーツドクターへの憧れが始まり

私が医師を目指したきっかけは、幼少期のサッカー経験にあります。何度も怪我をして通った整形外科で、スポーツドクターとしてプロチームに帯同している医師の話を聞き、「ああなりたい」と自然に思うようになりました。家族や親戚に医療従事者はおらず、特別なきっかけがあったわけではありませんが、医師という職業の社会的責任や安定性にも魅力を感じていました。

医学部を意識したのは高校1年の模試

中学の頃からぼんやりと「医者ってかっこいいな」とは思っていましたが、現実味を帯びてきたのは高校1年の模試です。想像以上に良い結果が出て、「このまま頑張れば医学部も狙える」と自信がつきました。高校1年の終わりには、医学部志望を明確にしていました。

強豪サッカー部との両立の日々

私の高校はサッカー部が週6日の活動で、部員も120人超。平日は練習、土日は遠征でほとんど休みなしの生活。勉強はテスト前の期間に詰め込む程度で、学習習慣は不十分でした。それでも数学や英語の基礎には少しずつ取り組んでいて、2年生になってからは映像授業型の塾に通い始め、自習室での勉強を習慣化しました。

怪我を機に一気に受験モードへ

2年生の11月に大きな怪我をして引退。それを機に「今が勝負だ」と切り替え、志望校を東京医科歯科大学に決定。数学は『フォーカスゴールド』と『新数学スタンダード演習』、英語は『鉄壁』や『ビンテージ』などで基礎固めに励みました。2年の終わりには偏差値も70を超え、いい流れができていたと思います。

コロナ禍で得た集中力と壁

3年生では、4〜6月の休校期間を自分のペースで有効活用できました。英語は『ポレポレ』で英文解釈、理科は『名門の森』や『重要問題集』を活用し、塾の講座も取り入れました。夏の模試では偏差値74を記録したものの、理科の伸び悩みが課題に。塾の物理講座で興味が深まり、理科の勉強時間も自然と増えました。

焦りと不安、そして敗戦

夏以降は学校の授業と自分のスタイルが合わず、ストレスを感じることが増えました。秋以降はモチベーションが下がり、偏差値も70前後に。二次重視の対策に集中しすぎて共通テスト対策が手薄になり、当日は体調も崩して83%。前期の東北大学に不合格となり、後期に望みをかけて1週間の猛勉強。山梨大学に合格できたときは、心からホッとしました。

医学部生活で感じること

入学後は「意外と自由な時間が多い」と感じました。1年生は遊び中心でしたが、2年で解剖学の難しさに直面。ただし授業にはあまり出席せず、試験はすべて一発で通過しています。現在5年生ですが、再履修している同級生も多く、油断は禁物だと実感しています。

受験を振り返って思うこと

今振り返ると、数学と英語の基礎を高1・2のうちに固めておくことの大切さを強く感じます。参考書も多くに手を出すより、1冊をやりきることが重要でした。模試の結果に一喜一憂せず、自分の「手応え」を信じることも大事だと思います。

最後に

受験期は自分自身と真剣に向き合う貴重な時間です。どんな大学に行くかよりも、そこで何をするかが未来を決めます。家族には、勉強に干渉せず、生活面で支えてくれたことに感謝しています。自分の力で乗り越えられたのは、その支えがあったからこそだと思います。

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