「先生、私の志望理由書、読んでもらえますか。自信作なんです」
そう言って差し出してきたのは、受験直前の10月。Aさん(当時18歳)は、3週間かけて書き上げたという志望理由書を、誇らしげに私の前に置いた。
私は一読して、静かに紙を伏せた。
「Aさん、これ、全部書き直したほうがいい」
彼女の顔が凍りついた。そして、こう言った。「なんで……全部書いたのに」と。
私はこのとき、胸が痛かった。3週間の努力を否定しているのではない。でも、このまま出せば落ちる。それだけははっきりわかった。27年間で見てきた現場だからこそ断言できます——志望理由書には、「書いた瞬間に落ちる一文」が存在します。
採点者は「最初の一文」で8割を判断している
これは大げさではない。私はかつて、大学の入試広報担当者や、推薦入試の審査に関わった経験のある教員たちと話す機会を複数回もった。彼らが口を揃えて言うのは、「志望理由書は最初の数行で、この受験生が本気かどうかわかる」ということだ。
では、採点者が「あ、この子は落とそう」と感じる最初の一文とは何か。
答えはシンプルだ。それは——
「私は〇〇大学に入学したいと思い、この度志望理由書を書かせていただきます」
という、「宣言だけで終わる冒頭文」だ。
笑い話のように聞こえるかもしれないが、これを書いてくる生徒が、毎年後を絶たない。冒頭の一文が「私はこの大学を志望します」という事実の確認で終わっている。採点者にしてみれば、「それは知っている。志望理由書なんだから」という話だ。
「自分の話」をしていない——これが最大の失敗パターン
Aさんの志望理由書に戻ろう。彼女が書いていた内容は、こうだ。
「貴学の〇〇学部は、充実したカリキュラムと優秀な教授陣を擁しており、私の学びたい分野において最高の環境が整っていると確信しております。また、貴学のキャンパスは〜」
私はここで止まった。
「Aさん、この文章、どこに君が出てくる?」
彼女は首をかしげた。「え、私のことを書いてますよ? 私が確信しているって」
「大学の紹介をしているだけだよ。君がなぜその学問を必要としているのか、一行も書いていない」
これが、志望理由書で落ちる生徒が必ずやっている「最大の失敗」だ。大学のパンフレットを言い換えているだけで、自分の人生のどの部分がその大学と結びついているのかが、まったく書かれていない。
採点者は毎年、何百・何千枚もの志望理由書を読む。「貴学の充実した環境」「グローバルな視点」「実践的なカリキュラム」——こういった言葉が並んでいる書類を、彼らは一瞬で見抜く。そしてその瞬間、心の中でページをめくる。
「落ちる一文」の正体——それは「他の誰でも書ける文」だ
ここで、逆説的な話をしたい。
志望理由書の失敗は、「書き方が下手」なことではありません。「あなたでなくてもいい文章を書いている」だけです。
これは本質的な違いだ。文章の上手い下手ではなく、「この文章を書けるのは、世界中でこの受験生だけか?」という問いに、答えられているかどうか。
たとえば、「医療に貢献したいから医学部を目指します」という文は、日本中の医学部受験生が書ける文だ。しかし、「祖父が脳梗塞で倒れ、救急車の中で意識を失っていく祖父の手を握りながら、私は初めて『医療の限界』を肌で感じた。あのとき私が感じた無力感を、次の世代に繰り返させたくない」という文は、その受験生にしか書けない。
採点者が読みたいのは、後者だ。
もう一つの事例——Bくんが書いた「完璧に見えた志望理由書」
Bくんは、経済学部を目指す生徒だった。彼の志望理由書は、文章力という意味では完成度が高かった。論理的な構成、適切な語彙、読みやすい段落。しかし、私は読み終えて一つの違和感を覚えた。
「Bくん、この志望理由書、なんで経済学部なの?」
「え、書いてありますよね。社会問題の解決に経済学のアプローチを使いたいって」
「それはわかった。でも、なんでBくんなの? Bくんの人生のどこに、この志望が根ざしているの?」
沈黙。
しばらくして、彼はぽつりと言った。「中学のとき、父の会社が倒産して、引っ越しを余儀なくされたんです。あのとき、経済ってこんなにも人の生活を変えるんだって思って……」
私はすぐに言った。「それを書け」と。
Bくんは「そんな個人的なこと、書いていいんですか」と驚いた顔をした。ここに、多くの受験生の誤解がある。志望理由書は「格式ある文章」を書く場ではない。「あなたがその大学でなければならない理由」を伝える場だ。個人的な体験こそが、最も強い武器になる。
採点者の「本音」を知っているか
27年間で見てきた現場だからこそ断言できますが、採点者が志望理由書に求めているのは「美しい文章」でも「知識の豊富さ」でもない。「この学生は、入学後に何かを起こしてくれそうか」という予感だ。
大学は、入学者に投資をしている。4年間の教育リソースを注ぐ相手として、「この人は本気だ」と感じさせる受験生を選ぶ。その「本気」が伝わるのは、論理ではなく、その人の原体験から来る言葉だ。
逆に、どれだけ論理的に「御校の〇〇が素晴らしい」と書いても、そこに「なぜ自分がその問いを持つに至ったか」がなければ、採点者の心は動かない。
今すぐ確認してほしい「三つの問い」
自分の志望理由書を書いた人、あるいはこれから書く人は、今すぐ自分の文章に問いかけてほしい。
一つ目。「この文章は、自分以外の受験生も書けるか?」——もし「書ける」なら、書き直しが必要だ。
二つ目。「自分の人生の具体的なエピソードが、最低一つ入っているか?」——抽象的な動機だけで埋まっているなら、それは採点者には届かない。
三つ目。「なぜ他の大学ではなく、この大学でなければならないのか、具体的に答えられるか?」——「充実した環境」「著名な教授」という言葉で答えているなら、それは大学のパンフレットを読んでいるだけだ。
この三つに、自信を持って「はい」と言えるなら、その志望理由書は戦える。一つでも「いいえ」があるなら、まだ時間があるうちに手を入れるべきだ。
最後に——「落ちる一文」を消すために必要なこと
冒頭のAさんは、その後3日間で志望理由書を全面的に書き直した。書き直した文章の冒頭は、こうだった。
「高校2年生のとき、私は不登校になった。その半年間、私が唯一続けられたのは読書だった。本の中の言葉だけが、私の存在を肯定してくれた。あのとき私が感じた『言葉の力』を、今度は自分が誰かに届けたい。それが、文学部を志望する理由だ。」
私はこれを読んで、率直に「これなら戦える」と思った。彼女はその後、第一志望の大学の推薦入試を突破した。
志望理由書は、作文ではない。自分の人生の一部を、採点者に手渡す行為だ。そのことを忘れないでほしい。
もし今、自分の志望理由書に自信が持てないなら、一人で抱え込まないでほしい。スカイ予備校では、生徒一人ひとりの「原体験」を掘り起こすところから、志望理由書の指導を始めている。文章を磨く前に、「あなたにしか書けない言葉」を一緒に見つける——それが私たちのやり方だ。
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