「先生、親に受験をやめろって言われました」
Aが私の前でそう言ったのは、高校3年の夏、8月の終わりだった。エアコンの効いた面談室なのに、彼女の顔は真っ青で、唇がかすかに震えていた。
私は黙って、まず一度深呼吸をした。27年間この仕事をしていると、「親に反対されている」という相談は珍しくない。しかし、Aのケースはその中でも特別に重かった。
「お前の夢より生活が大事だ」——父親が言った言葉
Aの家庭は、父親が自営業を営んでいた。その年、仕事がうまくいっておらず、家計は相当に苦しかった。父親の主張はこうだった。「国公立に受かるかどうかもわからないのに、予備校代を払い続けるのは無駄だ。早く就職して家計を助けてくれ。お前の夢より、まず生活が大事だ」
私はその言葉を聞いて、正直、父親を責める気にはなれなかった。生活が追い詰められた親が、子どもに現実を突きつける。それは冷酷に見えて、実は必死な愛情の裏返しであることを、私はこれまで何度も見てきた。
だから私はAに、こう聞いた。「お父さんのこと、嫌いになった?」
Aは少し間を置いて、首を横に振った。「嫌いじゃないです。でも……悔しいんです」
その「悔しい」という一言が、私の中で何かを確信させた。この子は本気だ、と。
親の反対は「諦めろ」というサインではない
ここで一つ、逆説的なことを言わせてほしい。
親に受験を反対される生徒は、「愛されていない」のではありません。「愛されているがゆえに、親が怖くなっている」だけです。
父親がAに言った「お前の夢より生活が大事だ」という言葉。あれは本心では「お前に苦労させたくない」という叫びだった。受験に失敗したときのわが子の姿が怖くて、先手を打って「諦めさせよう」としていた。私にはそう見えた。
27年間で見てきた現場だからこそ断言できます。親が受験を反対するとき、その奥には必ずと言っていいほど「子どもへの心配」がある。純粋な「邪魔」をしたいわけではない。だからこそ、その反対を「乗り越える」のではなく、「理解した上で前に進む」ことが大切なのです。
私がAに提案した「一つの約束」
面談の中で、私はAにこう提案した。「お父さんと、一度だけちゃんと話し合ってきてほしい。ただし、言い争いじゃなくて。お父さんの不安を、まず全部聞いてきてほしい」
Aは不思議そうな顔をした。「言い負かすんじゃなくて、ですか?」
「そう。言い負かしたら、たとえ受験できても、心に傷が残る。お父さんの言葉の奥にある怖さを理解した上で、それでも自分はこうしたいと伝えてほしい」
Aは一週間後、また私の前に現れた。今度は、顔つきが違った。
「父が、『わかった。やってみろ』と言ってくれました」
私はそのとき、思わず目頭が熱くなった。これだから、この仕事はやめられない、と思った。
もう一人の生徒——Bの場合
Aの話をする前に、もう一人の生徒のことも触れておきたい。
Bは男子生徒で、彼の場合は母親からの反対だった。「うちの家系に大学を出た人間はいない。身の丈に合った生き方をしろ」というのが母親の口癖だった。Bは地方の国公立大学の工学部を志望していた。将来は地元でものづくりに関わりたい、という夢があった。
Bが最初に私の塾に来たとき、彼はこんなことを言った。「僕が大学に行きたいのは、逃げたいからじゃないんです。地元に戻って、ちゃんと貢献したいんです」
私はその言葉を聞いて、この生徒は本物だと思った。自分のためだけでなく、地元のためという視点を持っている高校生は、それほど多くない。
しかし現実は厳しかった。母親の反対は根強く、Bは家の中で「大学受験」という言葉すら口にできない状況が続いた。こっそり参考書を読み、私の塾には「友達の家に行く」と偽って通っていた時期もあった。
私はBのその状況を聞いて、複雑な気持ちになった。嘘をついてでも夢を追う姿は、ある意味で美しい。しかし、それが長続きするとは思えなかった。受験は精神的に消耗する戦いだ。嘘の上に積み上げた努力は、いつか崩れる。
私はBに言った。「いつか、お母さんに話すタイミングが来る。それまで力をつけておけ。模試でA判定が出たとき、堂々と見せればいい」
Bは黙ってうなずいた。
11月の模試でBは志望校の判定がBからAに上がった。その結果を持って、Bは初めて母親に正直に話した。母親は最初、黙っていた。しばらくして「……あなたがそこまで考えていたとは知らなかった」と言ったそうだ。
完全に賛成とはいかなかったが、母親は「受験することは止めない」という言葉を出した。Bにとっては、それで十分だった。
そして、2人は合格した
AもBも、翌春に国公立大学に現役合格した。
Aは合格通知を手に、まず父親に電話した。父親は電話口で「よくやった」とだけ言って、あとは黙っていたらしい。Aは「たぶん泣いてたんだと思います」と私に話してくれた。
Bの母親は、合格発表の日に地元の神社にお礼参りに行ったそうだ。「ずっと心配してたんだと思います」とBは少し照れくさそうに言った。
私はこの2人の話を振り返るたびに、一つのことを強く感じる。親の反対は、子どもの受験の「障害」ではない。それは、親と子が互いの本音を知るための、最後の関門なのだ。
受験は、親子の関係を壊すためにあるのではない
私がこの仕事を27年続けてきた中で、受験をきっかけに親子関係が壊れてしまったケースも見てきた。反対を無視して合格したものの、その後ずっと親との間に溝が残った生徒もいた。
だから私は、生徒に「親を説得しろ」とは言わない。「親を理解しろ」と言う。
親が反対するとき、その言葉の裏には必ず「心配」と「愛情」がある。その部分を無視して論破しても、勝者は生まれない。両者が傷つくだけだ。
一方で、親の反対に黙って従って夢を諦めた生徒が、何年後かに「あのとき戦えばよかった」と後悔する姿も見てきた。
大切なのは、反対するか従うかの二択ではない。「親の不安と向き合いながら、それでも自分の意志を丁寧に伝え続ける」こと。それが、受験という戦いを通じて人間として成長する、最も本質的なプロセスだと私は考える。
合格という結果は、もちろん大切だ。しかしAとBが本当に手に入れたのは、合格通知だけではなかった。親との間に生まれた、新しい信頼関係だった。
それは、どんな大学の学位よりも、長く彼らの人生を支えるものになると、私は信じている。
あなたの受験を、一人で抱えないでほしい
もしいま、親に反対されながら受験を考えている高校生がこれを読んでいるなら、一つだけ伝えたい。
あなたは間違っていない。ただ、一人で抱えすぎている。
スカイ予備校では、成績の相談だけでなく、こういった「受験を取り巻く環境」の相談にも、私自身が向き合っている。合格までの道のりは、勉強だけで決まるものではないと知っているから。
気になった方は、まず一度、話しに来てほしい。あなたの状況を聞かせてもらうことから、すべては始まる。
(この記事を読んで思い出したこと、追加で伝えたいことをここに記入してください)


