偏差値という「ものさし」が子どもをつぶす日——27年間で見てきた残酷な現実

偏差値という「ものさし」が子どもをつぶす日——27年間で見てきた残酷な現実 五十嵐校長コラム

「先生、私って頭が悪いんですよね。偏差値43だから」

この言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥で、怒りとも悲しみとも言えない熱いものがこみ上げてきました。目の前にいたのは、まだ高校1年生の女の子でした。入学してわずか数ヶ月で、彼女はすでに自分の可能性に蓋をしていたのです。

偏差値43。その数字が、この子の口から出たとき、私は思いました。誰がこの子にそう思わせたのか、と。

「偏差値」は地図ではなく、スナップショットに過ぎない

偏差値とは何か。改めて考えてみてください。それは「ある特定の日に、ある特定の問題を解いた集団の中での、相対的な位置」を示す数値に過ぎません。天気予報で言えば、今日の気温を測っただけのことです。明日が何度になるかは、今日の気温だけでは決まらない。

それなのに、私たちの社会はいつの間にか、この数値を「その子の知性の総量」「その子の将来の可能性」として扱うようになってしまいました。これが、私が27年以上この仕事を続ける中で、最も根深く、最も危険だと感じてきた誤解です。

偏差値が低いのは、頭が悪いからではありません。まだ正しいやり方で、正しい量だけ、正しい順番で勉強していないだけなのです。

「ものさし」が子どもの内側を壊すとき

偏差値という数値が本当に怖いのは、点数そのものではありません。その数値が子どもの「自己イメージ」に刷り込まれるときです。

人間の脳は、自分に貼られたラベルに驚くほど忠実に動こうとします。「私は偏差値43の人間だ」と思い込んだ子は、無意識のうちに「偏差値43相当の行動」しか取らなくなります。授業中に手を挙げるのをやめる。難しい問題には最初から「どうせ無理」と鉛筆を置く。模試の結果が返ってきても、数字を確認するだけで分析をしない。

これは怠慢でも弱さでもありません。脳が「自分の居場所」を守ろうとする、ごく自然な防衛反応です。しかし、その防衛反応が、本来持っているはずの可能性を、じわじわと、静かに、確実に削り取っていく。

スカイ予備校で27年以上受験生を見続けてきた私だからこそ断言できます。偏差値による自己定義こそが、受験における最大の敵です。志望校の難易度でも、ライバルの学力でも、試験の難しさでもない。「自分はこのくらいの人間だ」という思い込みが、最も多くの受験生の可能性を閉じてきました。

ある高校3年生が教えてくれたこと

ここで、一人の生徒の話をさせてください。

数年前、高校3年生の夏に私のもとへ来た男の子がいました。高2の終わりに受けた模試の偏差値は、英語が39、国語が41。志望校は関関同立のひとつでした。最初の面談で彼は言いました。「先生、正直に言ってください。僕に可能性はありますか」と。

私は即答しました。「ある。ただし、今すぐ偏差値という数字を忘れろ」と。

彼が驚いた顔をしたのを、今でも鮮明に覚えています。私が彼に最初に課したのは、模試の偏差値を見ることを一切禁止することでした。代わりに、毎日の「何を・どれだけ・どう解いたか」だけを記録させました。偏差値ではなく、行動量と質を追わせたのです。

彼は最初、戸惑っていました。模試の結果が返ってきても「見ちゃダメなんですか」と聞いてくる。それほど、偏差値という数値への依存は深かった。しかし3ヶ月が経つ頃には、彼の表情が変わり始めました。数字に一喜一憂しなくなった分、目の前の問題に集中できるようになっていたのです。

結果として、彼はその年の入試で第一志望に合格しました。合格発表の日に送ってくれたメッセージには、こう書いてありました。「先生、偏差値を捨てたら、勉強が初めて楽しくなりました」と。

保護者の「善意」が子どもを追い詰める構造

ここで、保護者の方にも正直に話さなければなりません。

偏差値で子どもを追い詰めているのは、学校や塾だけではありません。多くの場合、最も深く子どもの自己イメージを傷つけているのは、他でもない親御さんの言葉です。

「この偏差値じゃ、どこにも受からないよ」「もう少し頑張らないと偏差値が上がらないでしょ」——これらは全て、愛情から出た言葉だと私は知っています。子どもに現実を直視してほしい、危機感を持ってほしい、その一心から出た言葉です。

しかし、子どもの脳に届くのは、愛情ではなく「私は数値で評価されている」という事実です。そして、その評価が低ければ低いほど、子どもは「頑張っても無駄かもしれない」という学習性無力感に近づいていく。

偏差値を話題にしてはいけないと言いたいのではありません。偏差値を「その子の現在地」として使うのではなく、「次の一手を決めるための情報」として使ってほしいのです。この違いは、子どもの受験人生において、天と地ほどの差を生みます。

本当の「ものさし」は何か

では、偏差値の代わりに何を見ればいいのか。私が受験生に持ってほしいのは、たった3つの問いです。

「昨日より、何が解けるようになったか」
偏差値は他者との比較です。しかし受験における本当の戦いは、昨日の自分との差を積み上げることです。この問いを毎日持てる受験生は、必ず伸びます。

「どこで点数を落としているか、正確に言えるか」
模試の偏差値を見て落ち込む受験生は多い。しかし、どの単元で、どのタイプのミスをしているかを即答できる受験生は、驚くほど少ない。原因を特定できない限り、改善は起きません。これは当然のことです。

「今週の勉強は、志望校の出題形式に対応していたか」
偏差値を上げることと、志望校に合格することは、実は別の問題です。私、五十嵐は、偏差値55で偏差値65の大学に合格した受験生を何人も見てきました。それは奇跡でも不正でもない。志望校の出題パターンに特化した戦略を取ったからです。

偏差値に縛られた子どもへ、今すぐできること

もしあなたのお子さんが、偏差値という数値に自分の可能性を閉じ込められているとしたら、今日からできることがあります。

まず、偏差値の話を「評価」として使うのをやめてください。代わりに、「今週、英語の長文を何題解いた?」「この単元、先月より早く解けるようになった?」という行動ベースの会話に切り替えてください。子どもは数値ではなく、行動の積み重ねで成長します。

次に、子ども自身が「自分の成長」を記録できる仕組みを作ってください。解けなかった問題が解けるようになった日を記録する。それだけでいい。その小さな積み重ねが、偏差値という外からの評価に依存しない、自分の内側からの自信を育てます。

そして最後に、これだけは覚えておいてください。大学受験において、現時点の偏差値は結果ではなく、スタート地点の確認に過ぎません。スタート地点がどこであれ、ゴールまでの道筋は必ず存在します。その道筋を設計するのが、受験戦略というものです。

「才能」という言葉で片づけない

冒頭に戻りましょう。「私って頭が悪いんですよね。偏差値43だから」と言ったあの高校1年生の女の子。

私は彼女にこう言いました。「頭が悪いんじゃない。まだ誰も、君に正しい勉強の設計図を渡していないだけだ」と。

最初、彼女は半信半疑でした。それはそうです。これまでの人生で、偏差値という数値が「あなたの限界はここだ」と何度も語りかけてきたのですから。しかし、正しい方法で、正しい順番で積み上げていくうちに、彼女の表情は少しずつ変わっていきました。そして翌年の春、彼女は自分が「受けるはずのなかった」大学に合格しました。

これは特別な話ではありません。私、五十嵐がこの27年間で見続けてきた、ごく当たり前の現実です。

偏差値は、子どもの可能性を測るものさしではありません。現時点での勉強量と方法の結果を示す、ただの数値です。そのものさしで我が子を測り続けることが、どれほど多くの可能性を静かに奪ってきたか——この記事を読んでくださったあなたには、ぜひその視点を持ち続けてほしいと思います。

スカイ予備校では、偏差値ではなく「志望校合格までの戦略設計」を軸に、一人ひとりの受験生と向き合っています。もし今、お子さんが偏差値という数値に縛られて前に進めていないと感じているなら、一度私たちの考え方に触れてみてください。正しいものさしを手に入れるだけで、見える景色は必ず変わります。

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