「先生、もう大丈夫だと思うんです。手応えがあって」
1月の終わり、センター試験(現・共通テスト)を終えたKくんが、私の前でそう言った。模試の結果も悪くない。志望校の判定はB。彼の表情には、これまで見たことのない余裕があった。
私はそのとき、胸の中に冷たいものが走るのを感じた。
——ああ、この子は危ない。
結果を先に言う。Kくんは第一志望に落ちた。2月の本番で、模試より30点以上低い点数を叩き出して。
「あと少し」という感覚が、最も人を殺す
29年間、受験生を見続けてきた私が断言できることがある。受験における最大のリスクは、「実力不足」でも「勉強時間の不足」でもない。「もうほぼ大丈夫」という感覚そのものだ。
これは逆説に聞こえるかもしれないが、本質を突いている。頑張り続けてきた生徒ほど、直前期に「燃え尽き感」と「安堵感」が同時に訪れる。その瞬間、脳が「もう走らなくていい」という信号を出し始める。そしてその信号は、本人が気づかないまま、勉強の質と量を静かに、しかし確実に落としていく。
失速は派手には起きない。
「今日は少し疲れたから」「もうこの単元は大丈夫だから」「明日からまた頑張ろう」——そんな小さな言い訳が、1日、2日、3日と積み重なっていく。気づいたときには、本番まで2週間を切っている。
失速する生徒には、3つの共通パターンがある
パターン①:模試の結果を「現在の実力」と勘違いする
Kくんがまさにこれだった。模試はあくまで「その時点での実力の断面」に過ぎない。しかも模試を受けた後、きちんと復習して知識を定着させなければ、実力は維持されない。むしろ、緊張感が緩んだ分だけ落ちていく。
私が特に気をつけて見るのは、模試後の生徒の行動だ。結果が出た後、すぐに間違えた問題に向き合う生徒と、「まあ良かったから」と流す生徒とでは、1ヶ月後に決定的な差が生まれる。29年間で見てきた現場だからこそ断言できますが、模試でA判定を取った生徒が落ちるケースの8割以上は、この「結果への慢心」が原因だ。
パターン②:「仕上げ」のつもりが「惰性」になっている
直前期になると、多くの生徒が「復習中心」に切り替える。これ自体は正しい。問題は、その復習が「作業」になってしまうことだ。
知っている問題を解いて、「解けた」と満足する。ノートをきれいにまとめて、「整理できた」と安心する。でも、それは勉強ではない。「できる気になる練習」をしているだけだ。
本当の直前期の復習とは、「自分がまだ完璧でない部分を炙り出す作業」でなければならない。快適な復習は、脳に負荷をかけない。負荷のない勉強は、本番で機能しない。私はいつも生徒に言う。「復習していて『ああ、これ忘れてた』と焦る瞬間がないなら、その復習は意味がない」と。
パターン③:生活リズムが「緩み」に向かって崩れる
これが一番見落とされやすい。直前期の生徒の多くは、追い込みの反動で「少し夜更かし」「少し朝寝坊」を繰り返し始める。1時間のズレが、2時間になり、気づけば本番当日に「いつもより早起き」という状態になる。
脳は習慣の生き物だ。試験は朝に行われる。にもかかわらず、直前の1〜2週間で脳のピーク時間帯を後ろにズラしてしまう生徒が、毎年必ずいる。本番の朝、「なんか頭が動かない」と感じる生徒の多くは、実力がなかったのではない。脳のコンディションを自分で壊していたのだ。
Mさんの話——「あと少し」で止まった子
もう一人、忘れられない生徒の話をさせてほしい。
Mさんは、夏から秋にかけて猛烈に伸びた生徒だった。E判定からC判定まで上がり、保護者の方も「先生、娘が変わりました」と涙を浮かべて話してくれた。私も正直、この子は行けると思っていた。
ところが11月に入ったあたりから、Mさんの表情が少しずつ変わり始めた。笑顔が増えた。質問の量が減った。自習室にいる時間が短くなった。私が声をかけると、「大丈夫です、ちゃんとやってます」と言う。
私はこう感じた。——この「大丈夫」は、本当の大丈夫じゃない。
保護者の方に連絡を入れ、三者面談を設定した。そこで初めてわかったのは、Mさんが「もう受かる気がしてきた」という気持ちから、少しずつ息を抜き始めていたということだった。志望校のパンフレットを眺めたり、大学生活を想像したりする時間が増えていたらしい。
気持ちはわかる。でも、それをやるのは合格してからでいい。
Mさんは最終的に、第一志望には届かなかった。第二志望に進学し、今は元気にやっているという連絡をもらっている。それは良かった。でも私は今でも、あのとき三者面談をもう1週間早く設定していれば、と考えることがある。
「失速」は本人に見えない——だから周囲が気づかなければならない
ここが最も重要な点だ。失速している生徒は、自分が失速していることに気づいていない。むしろ「落ち着いて取り組めている」「ペースが安定してきた」と感じている。客観的に見れば明らかに緩んでいるのに、本人の感覚は「成熟してきた」と錯覚する。
これは脳の防衛機制に近いものだと私は考えている。長期間にわたる緊張とプレッシャーから解放されたいという欲求が、「もう大丈夫」という認知を作り出す。それは人間として自然な反応だ。だからこそ、本人だけに任せてはいけない。
保護者の方へお願いしたいのは、この時期に子どもの「表情の変化」「帰宅時間」「自習室にいる時間」を静かに観察してほしいということだ。「なんか最近楽しそう」「なんかリラックスしてる」と感じたら、それは要注意のサインだ。責めるのではなく、「最近どう?本番まであと何日?」と穏やかに現実に引き戻してあげてほしい。
直前期に本当に必要なこと——「緊張」ではなく「緊張感の維持」
誤解してほしくないのは、私は「直前期も全力で追い込め」と言いたいわけではない。体と心のコンディションを整えることは絶対に必要だ。睡眠を削れとも、休むなとも言わない。
私が言いたいのは、「緩んでいい」と「緩める」は違うということだ。
緊張感を保ちながら、体を休める。ペースを落としながら、質を落とさない。自信を持ちながら、慢心しない。——この両立が、直前期の本当の課題だ。そしてこれは、一人でやり遂げるには難しい。だからこそ、信頼できる大人の存在が必要になる。
受験は、ゴールテープを切るまで終わらない。
「あと少し」という感覚が生まれた瞬間こそ、最も踏ん張らなければならない瞬間だ。
29年間、1万人を超える受験生を見てきた私が、最後に伝えたいことはただ一つ。本番当日の朝まで、あなたはまだ伸びられる。その可能性を、「もう大丈夫」という言葉で自ら閉じないでほしい。
スカイ予備校では、直前期の生徒一人ひとりの「状態」を見ながら、個別に声かけと面談を行っています。「うちの子、最近なんか緩んでいる気がする」と感じている保護者の方は、一度ご相談ください。本人が気づいていないことに、私たちが気づける場合があります。
(この記事を読んで思い出したこと、追加で伝えたいことをここに記入してください)



