「先生、僕は本気を出せば絶対に受かります。まだ本気を出していないだけなので」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸にズシンと重いものが落ちた。
11月の面談室。センター試験まであと2ヶ月を切った時期に、目の前の生徒Kは涼しい顔でそう言ったのだ。
私はその場で何も言えなかった。いや、正確には言わなかった。なぜなら、彼の目には「先生に何がわかる」という光が宿っていたからだ。あの目をした生徒に言葉をぶつけても、弾き返されるだけだということを、私は長年の経験で知っている。
結果として、Kは第一志望に落ちた。滑り止めにしていた大学にも落ちた。3月の終わり、母親から電話があった。「先生、あの子、浪人することになりました。本当に申し訳ありません」と。なぜ保護者が謝るのか。私はやりきれない気持ちを抱えながら、受話器を握りしめた。
「頭がいい」という言葉が、じつは毒になる
29年間で見てきた現場だからこそ断言できます。受験で失敗する生徒には、いくつかの明確なパターンがある。そのなかでも最も多く、最も手ごわいのが「頭がいいと言われ続けてきた生徒」のパターンだ。
誤解しないでほしい。頭がいいこと自体は、当然ながら武器になる。問題は「頭がいい」という評価を長年浴び続けることで、知らず知らずのうちに形成される「自己像の鎧」にある。
小学校のころから「天才」「神童」と呼ばれ、中学でも学年トップを走り続けてきた生徒は、自分の頭のよさを証明することで自分のアイデンティティを保ってきた。だから「努力する」「基礎に戻る」「わからないと言う」という行為が、無意識のうちに「自分の頭のよさを否定すること」と結びついてしまう。
頭がいい生徒が努力をしないのではない。努力することで「自分は頭がいい」という自己像が崩れることを、魂レベルで恐れているだけだ。
これが、私が29年かけてたどり着いた一つの本質だ。
Aくんの話——模試でA判定を取り続けた生徒の末路
数年前に担当したAくんのことを話したい。
彼は地方の進学校で常にトップ3に入る生徒だった。初めて面談したとき、私が「今、一番苦手な単元はどこですか?」と聞くと、彼はしばらく黙ったあと「特にないです」と答えた。
私はそのとき、内心で「ああ、これは時間がかかる」と思った。苦手がない受験生など存在しない。苦手がないと言う生徒は、苦手を認識していないか、認めたくないかのどちらかだ。Aくんは後者だった。
彼の答案を詳しく見ると、数学の記述で論理の飛躍が目立ち、英語の長文では設問の意図を読み違えるミスが頻出していた。しかし彼は「ケアレスミスです」の一言で片付けた。ケアレスミスを繰り返すのは、もはやケアレスミスではない。それは構造的な問題だ。しかし彼にはそれを受け入れる回路がなかった。
夏の模試でA判定が出たとき、彼は自信を深めた。私は複雑な気持ちだった。A判定は「今の実力では届く可能性が高い」という意味であって、「今のままで受かる」という保証ではない。しかし彼には「やっぱり自分は大丈夫だ」という確信の材料にしかならなかった。
秋以降、彼は過去問演習で繰り返し同じ種類のミスをした。私が「ここの論理展開を一度立ち止まって確認してみよう」と言うたびに、彼は「わかってます」と言った。わかっているのに直らないのは、わかっていないのだ。しかし彼にはそれを認める言葉がなかった。
本番直前、彼の母親が私のところに来た。「先生、Aは大丈夫でしょうか」と。私は正直に言えなかった自分を、今でも悔やんでいる。「できることはやっています」と言うのが精一杯だった。
結果は不合格。彼が翌年、浪人先の予備校で初めて「僕、基礎からやり直します」と言ったとき、その予備校の先生から連絡をもらった。「五十嵐先生のところにいたAくん、すごく変わりましたよ」と。私は受話器の向こうで、静かに目を閉じた。
プライドを守ろうとするほど、本当の実力は伸びない
Aくんのケースで私が痛感したのは、プライドは外から崩せないということだ。
私が「苦手があるよ」と言えば言うほど、彼のプライドは防衛反応を起こして固くなった。これは責める話ではない。人間として自然な反応だ。しかし受験という戦場では、その自然な反応が命取りになる。
頭がいい生徒ほど、「わからない」と言うコストが高い。周囲の期待があるから、自分のブランドがあるから、「わからない」という一言が何もかもを壊してしまうような恐怖がある。だから質問しない。だから弱点を認めない。だから同じミスを繰り返す。
しかしここに逆説がある。
本当に頭がいい人間は、自分の弱点を認めることを恐れない。なぜなら、弱点を認めることが最短で強くなる道だとわかっているからだ。
受験で成功する「頭がいい生徒」と失敗する「頭がいい生徒」の違いは、頭の良さではない。弱点を認める勇気があるかどうか、ただそれだけだ。
保護者の方へ——「うちの子は頭がいいから」が危ない
もう一つ、どうしても伝えたいことがある。
あるお母さんが面談に来たとき、開口一番「うちの子は昔から頭がいいので、やる気さえ出れば絶対に受かると思うんですが」と言った。私はゆっくりと話を聞きながら、その言葉が彼女の息子Bくんにどれほど重くのしかかってきたかを想像した。
Bくんは面談でほとんど話さなかった。目が泳いでいた。成績表を見ると、得意科目と苦手科目の落差が激しく、明らかに苦手から逃げ続けている軌跡が見えた。
「頭がいい」という期待を親から向けられ続けた子どもは、失敗することへの恐怖が人一倍強くなる。失敗すれば「頭がいい」という自分の価値が失われると感じているからだ。だから挑戦を避け、得意なことだけを繰り返し、苦手教科は「やれば絶対できる」という言葉で先送りし続ける。
私はBくんのお母さんに、一つだけお願いをした。「今後1ヶ月、『頭がいい』という言葉を使うのをやめてみてください」と。最初は戸惑っていたが、後日「先生に言われてから意識したら、私、毎日何回もその言葉を使ってたことに気づきました」と言っていた。
Bくんはその後、少しずつ苦手科目に向き合うようになった。完全に変わったわけではない。しかし「わからない」と言えるようになった。それだけで、伸びしろは大きく変わる。
では、どうすればいいのか
プライドを捨てろ、と言いたいわけではない。プライドは大切なエネルギーになる。問題は、プライドの使い方だ。
「頭がいい自分を守るためのプライド」ではなく、「頭がいい自分になるためのプライド」に変換できるかどうか。この違いは小さいようで、受験の結果に決定的な差を生む。
具体的に言えば、「わからない問題に出会ったとき、それを認めて向き合えるか」が試金石になる。わからない問題を飛ばし続ける生徒は、本番でも同じことをする。わからない問題に正面から向き合い、「なぜわからないのか」を言語化できる生徒は、本番でも粘れる。
私が29年間で見てきた「本当に頭がいい受験生」は、例外なく、自分の弱点に正直だった。そして誰よりも泥臭く、基礎を繰り返していた。
華やかな才能の話ではない。地道な誠実さの話だ。
もしあなたが、または子どもが「頭がいい」と言われ続けてきたなら、今すぐ一つだけ問いかけてほしい。
「自分は、自分の弱点を声に出して言えるか?」
その答えが、これからの受験を左右する。
スカイ予備校では、成績や模試の数字だけでなく、生徒一人ひとりの「思考のクセ」や「勉強への向き合い方」まで含めた面談を大切にしています。「うちの子、なんか伸び悩んでいる気がする」と感じたら、まず一度、話しに来てみてください。答えは、案外早く見えてきます。
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