こんにちは、スカイ予備校の校長、五十嵐です!
部活も勉強も全力で取り組み、地元から医学部を目指した蓮さん。中学・高校と忙しい毎日を送りながらも、成績上位をキープし、着実に合格を手に入れました。順風満帆と思われる道のりの中には、悔しさや葛藤もありました。そんな蓮さんが語ってくれた、リアルな受験生活と山形大学医学部に辿り着くまでのストーリーをご紹介します。

記事の監修者:五十嵐弓益(いがらし ゆみます)
【全国通信教育】最短合格オンラインのスカイ予備校 校長
■小論文指導歴27年
これまでに指導した生徒は4000人以上、独自のSKYメソッドを考案で8割取る答案の作り方を指導。
2020年4月から、完全オンラインの大学受験予備校となる。過去3年間で国公立大学合格85名。
高1から入会者は国公立大学合格率93%
高2から入会者は国公立大学合格率86%
高3の4月から入会者は国公立大学合格率73%。
スカイ予備校の指導方針は、「大人になっても役に立つ勉強法の習得」です。「自分の人生は自分で切り拓く」教育をします
小学生時代:遊びとサッカーに夢中だった日々
小学生の頃の私は、とにかく遊ぶのが大好きで、毎日のように友達と外で遊んでいました。サッカーを習っていたこともあり、土曜日はいつもグラウンドにいました。週に一度は英会話教室にも通っていたものの、英語を流暢に話せたわけではなく、ただ「楽しかったな」という記憶が残っています。勉強は嫌いではなかったけど、あまり意識して取り組んでいたわけではなく、宿題をちゃんとやっていたくらいです。
中学時代:勉強も部活も全力で
中学に入ってからはサッカーを辞め、ソフトテニス部に入部。朝練もあり、放課後も練習、土日も試合で、ほとんど部活中心の生活でした。でも、素晴らしい先生や仲間に恵まれたことで、結果もついてきて、県で3位、県選抜候補にもなれました。
部活以外でも、駅伝や学級委員、学園祭の実行委員など、何でも挑戦するタイプでした。勉強も「できた方がかっこいい」と思って力を入れていて、授業中の集中とテスト前の本気モードで、塾に行かずに学年1位をキープできました。引退後は塾にも通い始め、忙しくても楽しみながら過ごした3年間でした。
高校時代:ハードな部活と東大を目指した日々
高校ではハンドボール部に所属し、平日も土曜も練習尽くし。肉体的にも精神的にもハードでしたが、仲間が本当に素晴らしく、毎日が充実していました。勉強面では、休校期間中に映像授業で先取り学習を進めたことで、模試でも好成績を取れ、モチベーションが上がりました。
もともとは獣医志望でしたが、学年主任から東大を勧められてからは本気で東大を目指すように。部活がある中でも、スキマ時間を活用してコツコツ勉強を積み上げました。
受験勉強本格化:夏から秋にかけての怒涛の追い上げ
部活引退後の6月後半から本格的に受験モードに入り、特に苦手だった物理と化学を重点的に復習。夏休みには北海道大学の過去問10年分と共通テスト(旧センター試験)10年分を解き切り、得点力もグッと上がりました。夏が終わる頃には共通テスト模試でも安定して8割超え。秋以降は記述問題対策を中心に進め、北大冠模試ではA判定も獲得しました。
共通テストと前期試験の挫折、そして後期での逆転合格
共通テスト本番では少し緊張して87%。それでも北大を目指して出願しました。しかし、前日の不幸により心の準備ができないまま二次試験を迎え、力を出し切れず…。大きな喪失感に襲われましたが、気持ちを切り替えて後期の山形大学対策へ。面接対策に集中し、無事合格することができました。
医学部合格を振り返って思うこと
私の受験生活を振り返ると、低学年のうちから英国数をしっかり固めていたことが最大のポイントだったと思います。英語は特に仕上がりが早かったおかげで、受験期には他教科に集中できました。部活との両立で時間の制限も多かったですが、基礎を徹底し、理解を重視したことで結果に繋がったと感じています。
山形大学での新しい日々
合格後しばらくは、北大への未練やコンプレックスが心に残っていました。でも、日が経つにつれてその気持ちは消えていきました。今では、面白くてかっこいい友達、尊敬できる先輩方に囲まれ、本当に山形大学でよかったと思えています。これからも、この環境で自分を高めていきたいです。