「先生、私、もう終わりました」
1月の共通テスト翌日。Gさんは私の前に座るなり、そう言った。声に力がなかった。目が少し赤かった。昨夜ずっと泣いていたのだろう、と私はすぐに気づいた。
自己採点の結果を見ると、目標としていた国立大学の判定ラインより80点以上低かった。英語でまさかのリスニング失敗。得意だったはずの数学でも、緊張からか計算ミスを連発。「これだけ勉強してきたのに」という言葉が、彼女の表情から滲み出ていた。
私はその瞬間、何も言わなかった。ただ、彼女の自己採点シートをゆっくりと手に取って、一科目ずつ眺めた。
そして、顔を上げてこう言った。「Gさん、ゲームはまだ終わっていない」と。
共通テストの失敗は「終わり」ではなく「始まり」だった
27年間で見てきた現場だからこそ断言できます。共通テストで大きく崩れた翌日というのは、受験生の人生において最も重要な「分岐点」の一つです。そこで何を考え、何を選択するか。それが最終的な合否を決める。
Gさんは高校3年生の4月にスカイ予備校に入ってきた。もともと偏差値は55前後。志望校は地方の国立大学の教育学部で、「小学校の先生になりたい」という夢を持っていた。真面目で、コツコツ型の生徒だった。模試の成績は夏以降じわじわと上がり、11月の模試ではD判定からC判定に浮上していた。本人も手応えを感じていたはずだった。
だからこそ、共通テスト本番での失敗が、彼女には「裏切り」のように感じられたのだと思う。努力が報われなかった、という感覚。それは受験生にとって、得点の数字以上に深く刺さる。
私はGさんに聞いた。「今から志望校を変えることはできる。でも、教育学部で先生になりたいという気持ちは変わっていないか?」
彼女は少し考えてから、「変わっていないです」と言った。
その言葉を聞いて、私の中で方針が固まった。
「逃げる」か「戦う」か。私が見てきた二つの選択
共通テストで大失敗した受験生には、大きく二つのパターンがある。
一つは、現実から目を背けて志望校をズルズルと下げ続け、「どこでもいいや」という気持ちで受験を終えてしまうケース。もう一つは、現実を直視した上で、残り1〜2ヶ月という短い時間に全力を集中させるケース。
前者の生徒は、合格しても後悔を引きずることが多い。後者の生徒は、たとえ不合格でも「やりきった」という顔をして私の前に現れる。そして、後者の生徒の中から、毎年必ず「逆転合格」が生まれる。
Gさんに提案したのは、共通テストの配点が低い私立大学の教育学部を「安全策」として1校だけ確保しながら、国立の志望校については出願ラインぎりぎりまで粘って判断する、という作戦だった。そして二次試験の配点が高い大学に絞って、残りの時間を二次対策に全振りする。
「80点のビハインドを二次試験で逆転できるか」という話をした。数字を出して、具体的に。「無理だ」と言わなかった。なぜなら、実際に不可能ではなかったから。
Gさんが変わった、あの瞬間
翌日から、Gさんは変わった。
それまでのGさんは、どちらかというと「言われたことをきちんとこなす」タイプだった。真面目だが、受け身。質問も少なかった。ところが、共通テストの翌日から、彼女は自分から動くようになった。
毎朝9時には自習室にいた。昼食は15分で済ませて戻ってきた。夕方、私の前に来て「今日はここまで解いたんですけど、この答案どう思いますか」と聞いてくるようになった。目に力が戻ってきた。
私はこの変化を見て、正直に言うと、胸が熱くなった。27年間、何百人もの受験生を見てきた私でも、こういう瞬間は今でも特別なものがある。人間が「覚悟を決めた瞬間」というのは、側にいる人間に伝わるものだ。
二次試験の記述問題、特に小論文と面接対策に時間を集中させた。Gさんの志望する教育学部では、二次試験に「教育についての小論文」と「面接」があった。共通テストの配点は全体の40%。残り60%が二次で決まる構造だった。
「先生になりたい理由」を何度も言語化させた。最初は「子どもが好きだから」という漠然とした答えだったが、繰り返す中で、彼女自身の小学校時代の経験、担任の先生に言われた一言、教育に対する自分なりの考えが出てきた。それを文章に落とし込み、面接で自然に語れるまで練習した。
合格発表の日、Gさんはひとりで来た
3月の合格発表の日、Gさんは一人で予備校に来た。スマートフォンの画面を私に向けて、「合格しました」とだけ言った。
声が震えていた。私も、少しだけ、声が出なかった。
後から聞いた話によると、二次試験の開示得点では、共通テストのビハインドをほぼ埋めていた。小論文の評価が特に高かったらしい。「教育とは何か」という問いに対して、自分の言葉で答えられたのだと思う。
Gさんが共通テスト翌日に言った「もう終わりました」という言葉。あの言葉は、ある意味で正しかった。「共通テストで勝つ」という戦い方は、確かにそこで終わった。でも、受験そのものは終わっていなかった。むしろ、本当の戦いはそこから始まっていた。
失敗した翌日に何をするかが、すべてを決める
ここで一つ、本質的なことを言わせてください。
共通テストで失敗した受験生は、「実力が足りなかった」わけではありません。「その日に力を出せなかった」だけです。
これは慰めではない。事実の話だ。模試でC判定を取り続けていた生徒が、本番の共通テストで崩れることはある。それは「実力のなさ」ではなく、「本番というプレッシャーの中での再現性の問題」だ。そして、その再現性は、二次試験までの1〜2ヶ月で十分に高めることができる。
私がこれまで見てきた逆転合格の多くは、「特別な才能を持った生徒」が起こしたものではなかった。「失敗した翌日に、もう一度立ち上がった生徒」が起こしたものだった。
Gさんは今、教育学部の3年生として、教育実習の準備をしている。先日、卒業生の集まりで久しぶりに会ったとき、「あの共通テストの失敗がなかったら、今の自分はなかったかもしれない」と笑って言っていた。
私はその言葉を聞いて、「そうかもしれないな」と思った。あの1月の翌日、彼女が覚悟を決めた瞬間が、今の彼女を作った。
もし今、あなたが「もう終わった」と感じているなら、それはまだ終わっていないサインだ。本当に終わった人間は、そんなことを考えない。終わったと感じているうちは、まだ戦える。
スカイ予備校では、共通テスト後のこの時期にも、個別の面談と二次対策を行っています。「今から何ができるか」を一緒に考えたい方は、ぜひ一度、話しに来てください。Gさんのような話を、私は毎年、この季節に経験しています。
(この記事を読んで思い出したこと、追加で伝えたいことをここに記入してください)



