「先生、スマホを川に捨てようと思っています」
夏期講習の最終日、Kくん(当時高校3年生)がそう言って私の前に立った。目は真剣だった。冗談ではない。彼はそのくらい追い詰められていた。模試の結果は惨憺たるもので、志望校との距離は縮まるどころか広がっていた。スマホのせいで勉強できていない、という自覚があったのだろう。
私はその瞬間、「それはやめなさい」と即答した。止めた理由は、川を汚すからではない。そんなことをしても、彼は合格できないと確信していたからだ。
「スマホを封印すれば合格できる」という大きな誤解
27年間で見てきた現場だからこそ断言できます。スマホを完全に封印した受験生が、志望校に落ちるケースは決して珍しくない。むしろ、封印という行為が引き金になって崩れていくパターンを、私は何度も目撃してきた。
なぜか。
スマホを封印した受験生が抱える問題は、スマホではない。「自分の衝動をコントロールできていない」という事実から、目を背けているだけなのだ。
スマホを物理的に遠ざければ、確かに短期的には勉強時間が増える。しかしその根っこにある「集中できない理由」「逃げたくなる心理」は何も解決されていない。だから封印が解けた瞬間、あるいは封印という緊張が緩んだ瞬間に、反動で崩れる。私はそれを「封印の揺り戻し」と呼んでいる。
Aさんのケース|完璧な封印が招いた「秋の崩壊」
数年前、私の予備校に通っていたAさん(女子・志望は国立大学教育学部)の話をしよう。
彼女は4月の段階で、スマホを親に預けた。LINEの返信は1日1回、夜の10分だけ。SNSは全削除。アプリも必要最低限しか残さなかった。傍から見れば、模範的な受験生の姿だった。
夏までは順調だった。模試の成績も上がり、私も「このまま行けば十分戦える」と感じていた。しかし9月に入ったあたりから、Aさんの様子がおかしくなった。授業中の集中力が落ち、自習室での滞在時間が短くなり、表情が暗くなっていった。
面談で話を聞いて、私はすぐに原因を察した。
「友達のことが気になって、勉強に集中できないんです。みんな何をしているのか、大学どこ受けるのか、毎日気になってしまって……」
スマホを封印したことで、彼女は「情報」を遮断したつもりでいた。しかし実際には、遮断したことで逆に情報への渇望が膨らんでいた。友人が今どこにいるのか、誰と何をしているのか、自分だけが取り残されているのではないか——そういった不安が、スマホのない頭の中でぐるぐると回り続けていたのだ。
私はAさんに言った。「スマホを返してもらいなさい。ルールを決めた上で、自分で管理しなさい」と。
彼女は最初、戸惑っていた。「スマホを持ったらまた見てしまいます」と。しかし私は「それでいい。見る時間を自分で決めて、守る練習をするんです」と伝えた。
結果として、Aさんは志望校に合格した。秋以降、スマホを持ちながらも自分でルールを管理する訓練をしたことで、メンタルの安定を取り戻し、最後の追い込みで力を発揮できた。
うまく付き合って合格したBくんが実践していたこと
一方で、スマホとうまく付き合いながら難関大学に合格した受験生も、私はたくさん見てきた。その一人がBくんだ(男子・志望は私立大学法学部、現役合格)。
Bくんはスマホを封印しなかった。しかし彼の使い方には明確な「設計」があった。
まず、勉強する場所にスマホを持ち込まないと決めた。自習室に入るときは必ずロッカーに預ける。自宅で勉強するときは、スマホを別の部屋に置いてくる。「封印」ではなく「距離を置く」という発想だ。
次に、スマホを使う時間帯を決めた。夜9時から9時半の30分間と、昼食後の15分間。それ以外は基本的に触らない。ただし「絶対に触らない」という縛りではなく、「触りたくなったら、まずその理由を考える」という習慣を持っていた。
面談でBくんに聞いたことがある。「スマホが気になって集中できないときはないの?」と。
彼の答えが印象的だった。「あります。でも気になったとき、だいたい問題が難しくて逃げたいだけなんです。スマホじゃなくて、問題から逃げたいんですよね」
私はその言葉を聞いて、内心唸った。この子は本質をわかっている、と。
スマホ問題の本質は「スマホ」ではない
Bくんの言葉が、すべてを表している。
受験生がスマホを触ってしまうのは、スマホが魅力的だからではない。目の前の勉強から逃げたいからだ。問題が解けない、内容が理解できない、先が見えない——そのストレスから一時的に逃避する手段として、スマホがそこにあるだけだ。
だからスマホを封印しても、逃げたいという衝動は消えない。スマホがなければ、別の逃げ場を探す。ぼーっとする、眠る、冷蔵庫を漁る、マンガを読む。スマホという出口を塞いでも、衝動そのものが解消されない限り、必ずどこかから溢れ出る。
これが、私が27年間の指導を通じて確信していることだ。
スマホ問題を解決したいなら、スマホを封印するのではなく、「なぜ逃げたくなるのか」を直視しなければならない。勉強の質が低いのか、計画が無謀なのか、睡眠が足りていないのか、そもそも志望校への動機が弱いのか。その根っこにある問題を解決することが、スマホとの戦いに勝つ唯一の道だ。
では、受験生はスマホとどう付き合うべきか
具体的な話をしよう。私が現場で勧めているのは、次の考え方だ。
まず、「封印」ではなく「設計」という発想に切り替えること。スマホを使う時間・場所・目的を、自分で決める。他人に決めてもらうのではなく、自分で設計することが重要だ。なぜなら受験が終わった後も、自分でスマホを管理する力は必要になるからだ。受験勉強は、合格するためだけでなく、自分をコントロールする訓練でもある。
次に、スマホを触りたくなったときを「サイン」として読む習慣を持つこと。触りたくなった、ということは、今やっている勉強に何らかの問題がある可能性が高い。それを「意志が弱い」と自己嫌悪で終わらせず、「今の勉強の何が問題か?」と問い直すきっかけにする。
そして、スマホを「報酬」として使うこと。問題を10問解いたら5分見ていい、今日のノルマが終わったら好きな動画を見ていい——そういう設計をすると、スマホは敵ではなくモチベーションの道具になる。
もちろん、最初からうまくできる受験生はほとんどいない。設計が崩れることもある。それでいい。崩れたときに立て直す経験を重ねることが、本当の意味での「スマホとの付き合い方」の習得につながる。
保護者の方へ|スマホを取り上げることが愛情ではない
最後に、保護者の方に一言お伝えしたい。
お子さんのスマホを取り上げたい気持ちは、十分に理解できる。しかしそれが逆効果になるケースを、私は数え切れないほど見てきた。取り上げられた子どもは、親への反発心を抱え、勉強のモチベーション自体を失うことがある。また、自分でスマホを管理する力を育てる機会を、親が奪ってしまうことにもなる。
スマホを取り上げるのではなく、「どう使うか」を一緒に考える。それが受験期における保護者の関わり方として、私が最も正しいと考えるアプローチだ。
スマホは武器にも凶器にもなる。それを決めるのは、スマホではなく、使う人間の側だ。受験生自身がそれを理解したとき、初めてスマホとの本当の意味での「付き合い方」が始まる。
私はそう信じているし、それを実践した受験生たちが合格していく姿を、27年間ずっと見続けてきた。
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