「先生、私、受験やめようと思っています」
Pさんがそう言ったのは、高校3年生の夏。模試の返却日の翌日だった。私の向かいに座った彼女の目は、泣き腫らした跡があった。成績が悪かったからではない。その日の朝、持病の発作が出て、救急外来に運ばれていたのだ。
「昨日、試験中に倒れたんです。本番でも絶対に倒れる。迷惑をかけてしまう。だから……」
私はしばらく黙っていた。何か気の利いた言葉をかけようとしたわけではない。ただ、彼女の言葉の重さを、自分の胸できちんと受け止めたかった。
持病と受験——誰も教えてくれなかった「本当の戦い」
Pさんは幼い頃から慢性疾患を抱えていた。詳細はここでは書かないが、体調が安定しない日が月に数回あり、その日は起き上がることすら難しい。高校に入ってからも、定期的に通院しながら勉強を続けてきた。それでも医師を目指したのは、「自分と同じ病気で苦しんでいる子どもを助けたい」という、ぶれない動機があったからだ。
私はこれまで29年間、数えきれないほどの受験生を見てきた。その中で、持病や障害を抱えながら医学部を目指す生徒が、決して少なくないことを知っている。そして彼らが共通して直面するのは、「学力」ではなく「自分が受験する資格があるのかどうか」という、深い自己否定だ。
Pさんもそうだった。成績は着実に伸びていた。志望校の国立大学医学部の合格ラインまで、あと一歩のところまで来ていた。問題は点数ではなく、彼女自身の心の中にあった。
転機は「諦める理由」を書き出した日
私はあの日、Pさんにひとつのことをお願いした。
「今日は帰って、受験を諦める理由を全部紙に書き出してみてください」
彼女は少し驚いた顔をした。励ましの言葉を期待していたのかもしれない。でも私は、根拠のない励ましより、現実を直視することの方が、この子には必要だと判断した。
翌日、Pさんは一枚の紙を持ってきた。そこには7つの「諦める理由」が書かれていた。試験中に体調が崩れるかもしれないこと。周りの受験生に迷惑をかけること。6年間の医学部生活を乗り越えられるかどうかの不安。医師になってから患者に迷惑をかけることへの恐れ——。
私はその紙を読んで、こう言った。
「Pさん、これ、全部『他人への迷惑』が理由ですね。自分がやりたくない、という理由は一つもない」
彼女は黙った。そして、ゆっくりと泣き始めた。
29年間で見てきた「本物の動機」の力
29年間で見てきた現場だからこそ断言できます。受験において、最後まで人を動かすのは「戦略」でも「テクニック」でもなく、「なぜ自分がそこに行かなければならないか」という動機の強さです。
Pさんの動機は本物だった。自分が病気と戦ってきたからこそ、同じ苦しみを持つ患者の気持ちがわかる医師になれる。それは、健康な体で順風満帆に育ってきた受験生には、絶対に持てない武器だ。
私はPさんに、その視点を伝えた。「あなたの持病は、医師になってからの財産になる。受験の障害ではなく、あなたが医師である理由になる」と。
ここで、もう一人の生徒の話をさせてほしい。
数年前に私が指導したQくんは、高校2年生のときに交通事故で右手を骨折し、長期入院を余儀なくされた。復帰後、彼は「試験で字が書けなかったらどうしよう」という恐怖心を抱えていた。私はQくんに、大学入試センターへの配慮申請の手続きを一緒に調べ、実際に申請を出した。試験時間の延長という配慮を受けながら、彼は第一志望の大学に合格した。「障害があっても、正しいルートを使えば戦える」——Qくんが教えてくれたことだ。
Pさんにも同じアドバイスをした。大学入試における「受験上の配慮」制度は、多くの受験生が知らない。持病や障害のある受験生は、事前に申請することで、別室受験や休憩時間の確保など、適切な配慮を受けることができる。「倒れたら迷惑をかける」ではなく、「倒れないための環境を整える」。その発想の転換が、Pさんの受験を変えた。
体調管理を「戦略」に変えた秋以降
夏以降、Pさんの取り組み方が変わった。
体調の悪い日を「勉強できない日」ではなく、「暗記の音声を聞く日」「これまでのノートを読み返す日」に再定義した。主治医とも連携し、試験の時期に合わせて薬の調整を行った。そして何より、「体調が悪い自分を責めること」をやめた。
これは簡単なことのように聞こえるが、実際には非常に難しい。持病を抱える受験生の多くが、体調を崩すたびに「また遅れた」「また差をつけられた」と自分を責め、そのストレスがさらに体調を悪化させるという悪循環に陥る。Pさんも例外ではなかった。
私は彼女に言い続けた。「体調の悪い日は、あなたがサボっているのではありません。あなたの体が、明日のために休んでいるだけです」と。
逆説的に聞こえるかもしれないが、これは真実だ。持病を抱えながら医学部を目指すことは、「ハンデを背負って戦うこと」ではない。「自分の体と対話しながら、最も効率的な戦い方を見つけること」なのだ。そしてその経験こそが、将来、患者に寄り添える医師の素地を作る。
合格発表の日
2月下旬、合格発表の日。Pさんから一通のメッセージが届いた。
「先生、受かりました。信じられないけど、受かりました」
私はそのメッセージを読んで、しばらくスマートフォンを置けなかった。嬉しかった。それ以上に、あの夏の日に「諦める理由」を書き出してきた彼女の姿が、鮮明によみがえってきた。
後日、Pさんのお母さんから連絡をいただいた。「娘が受験を通じて、自分の病気と初めて向き合えたような気がします。合格よりも、そちらの方が大きな財産かもしれません」という言葉だった。私はこれを読んで、受験とは学力だけを測るものではないと、改めて確信した。
持病があっても、医学部は目指せる
この記事を読んでいるあなたが、もし持病や体の不調を抱えながら医学部を目指しているなら、私はこう言いたい。
あなたの病気は、受験の邪魔をしているのではありません。あなたを、誰よりも深く「患者の痛み」を知る医師にしようとしているだけです。
Pさんは今、医学部の1年生だ。先日、久しぶりに連絡をくれた。「解剖実習が始まりました。怖かったけど、命と向き合うことの意味が少しわかった気がします」と書いてあった。私はその一文を読んで、彼女はもう走り始めていると思った。
スカイ予備校では、持病や体調面での不安を抱える受験生の相談も、個別に対応しています。「自分みたいな状況で医学部を目指せるのか」と思っているなら、まず話を聞かせてください。答えは、話してみてから一緒に考えましょう。
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