「先生、私、もう何を書けばいいかわからないんです」
Hさんが私の前でそう言ったのは、総合型選抜の出願まで残り4日という夜のことだった。机の上には、何度も書き直されてぐしゃぐしゃになったA4の原稿用紙が積み重なっていた。よく見ると、端の方が少し波打っている。涙が落ちた跡だと気づくのに、時間はかからなかった。
私はその瞬間、何も言わなかった。27年間この仕事をしていると、こういう沈黙が必要な場面というものが、体でわかるようになる。Hさんはまだ、自分の中にある答えを言葉にできていないだけだった。だから私はただ、向かいの椅子に座り直して、彼女が次の言葉を探すのを待った。
「完璧な志望理由書」を目指した末に迷子になった
Hさんは、某地方国立大学の教育学部を志望していた。将来は小学校の教師になりたいという夢を持つ、真面目で努力家の生徒だ。模擬面接でも受け答えはしっかりしているし、学校の成績も申し分ない。にもかかわらず、志望理由書だけが何週間経っても完成しなかった。
最初に彼女が持ってきた志望理由書を読んだとき、私はある違和感を覚えた。文章は整っている。構成も悪くない。でも、読み終えた後に何も残らないのだ。「教育の重要性」「子どもたちの未来を支えたい」「貴学の〇〇プログラムに魅力を感じ」——どれも正しいことが書いてある。しかし、Hさんでなければ書けない理由が、どこにも見当たらなかった。
私はこう感じた。彼女は「正しい志望理由書」を書こうとするあまり、「自分の志望理由」を見失っている、と。
これは珍しいことではない。むしろ、真面目な生徒ほどこの罠にはまる。ネットで模範例を調べ、学校の先生に添削してもらい、塾の参考書を読み込む。その過程で、どんどん「よそ行きの言葉」に上書きされていく。気づいたときには、自分が本当に何を伝えたかったのかさえわからなくなっている。
「なぜ小学校の先生になりたいの?」——本当の答えが出てきた瞬間
私はHさんに、一つだけ質問した。
「Hさん、志望理由書のことは一回全部忘れて。なんで小学校の先生になりたいの? 最初にそう思ったのはいつ?」
少しの間があった。
「……小学校3年生のとき、担任の先生が、私が書いた作文を読んで、クラスの前で『これはすごくいい文章だ』って言ってくれたんです。それまで私、自分に自信がなくて。その一言で、なんか、初めて自分のことを認めてもらえた気がして」
私は思った。これだ、と。
「その先生みたいになりたいの?」
「……はい。あの先生がいなかったら、私、今ここにいないと思います」
Hさんの目に、また涙が浮かんだ。でも今度は、迷子の涙ではなかった。自分の中にずっとあったものが、やっと言葉になったときの涙だった。
私はこう考える。志望理由書というのは、審査官を説得するための書類ではない。自分がなぜここに来たいのかを、自分自身に向けて確認する作業だ。その確認ができていない人間の言葉は、どれだけ美しく整えても、読む人間には届かない。
書き直した志望理由書は、たった一つの原体験から始まった
その夜、Hさんは新しい志望理由書を書き始めた。冒頭は、小学校3年生のときの作文の話から始まる文章だった。「先生の一言が、私の人生を変えた」という、ありふれているようで、彼女にしか書けない話。
私は途中で何度か助言したが、基本的には彼女が書くのを見ていた。ペンを走らせる速度が、最初の何十枚もの書き直しとは全然違う。迷いがない。自分の中にあるものを引っ張り出しているから、言葉が自然と出てくるのだ。
深夜0時を回った頃、Hさんが「できました」と言って原稿を差し出した。読んだ瞬間、私は正直に言った。
「これ、合格するよ」
根拠のない励ましではない。27年間で見てきた現場だからこそ断言できます。読み手の心が動く志望理由書には、共通の条件がある。「書いた人間の顔が見える」ということだ。Hさんの新しい志望理由書には、確かにHさんの顔があった。
逆説——「うまく書こうとしない」ことが、最も伝わる文章を生む
ここで一つ、本質的なことを伝えたい。
志望理由書が書けない生徒の多くは、「書く力が足りない」のではありません。「自分の言葉で語る許可を、自分自身に与えられていない」だけです。
誰かに読まれることを意識しすぎるあまり、「こんな話では弱い」「もっと立派な理由を書かなければ」と自己検閲を繰り返す。その結果、どこかで読んだような文章が出来上がる。審査官はプロだ。そういう「よそ行きの文章」は、一瞬で見抜く。
うまく書こうとしなくていい。正しく書こうとしなくていい。ただ、「自分がなぜここに来たいのか」を、正直に書く。それだけで志望理由書は、驚くほど強くなる。
Hさんが何十枚も書き直したのは、書く力がなかったからではない。自分の原体験を「使っていい」と思えなかったからだ。小学校の先生の一言なんて、志望理由書には小さすぎると思っていた。でも実際は逆だった。具体的で小さなエピソードこそが、読み手の心を動かす。
もう一人——Gさんの場合も同じだった
同じような経験は、Hさんだけではない。3年前に指導したGさんのことも、今でもよく覚えている。彼は医学部の推薦入試を受けようとしていたが、志望理由書の「医師を目指した理由」の欄で完全に詰まっていた。
「祖父が病気で亡くなったから医師になりたい、というのは、ありきたりすぎますか?」と彼は私に聞いた。
私はこう答えた。「ありきたりかどうかは関係ない。あなたの祖父の話を、あなたの言葉で書けているかどうかが全てだ」
Gさんが書いた最終稿には、祖父が入院中に病室の窓から見ていた桜の話が入っていた。「その年の春、祖父は桜を見ながら亡くなった。私はあのとき、医師にできることとできないことの両方を、初めて考えた」という一文。私はこれを読んで、思わず息を止めた。これは医学部の審査官の心に届く、と確信した。結果は合格だった。
Hさんも、Gさんも、最初から答えを持っていた。ただ、それを「使っていい」と気づくまでに時間がかかっただけだ。
志望理由書を書き直す夜に、本当に必要なもの
Hさんはその後、無事に合格した。合格通知が届いた日、彼女からLINEが来た。「先生、あの夜、泣いてよかったです」という一言だった。私は読みながら、少し笑ってしまった。
泣くことは弱さではない。自分の本音が出てきたサインだ。Hさんが泣いたのは、何十枚も書き直してもうまくいかない悔しさからだったが、その涙の奥には「本当はこういう理由で教師になりたい」という気持ちが、ずっと眠っていた。
志望理由書を書いていて行き詰まったとき、必要なのは新しい言葉ではない。自分の中にすでにある言葉を、掘り起こすための問いかけだ。「なぜ?」「最初にそう思ったのはいつ?」「誰かに影響を受けたとしたら?」——こういう問いを、一人でやるのは難しい。だから私たちのような存在が必要になる。
スカイ予備校では、志望理由書の指導を単なる「文章添削」として捉えていない。生徒が自分の言葉を取り戻すための対話として向き合っている。もし今、書き直しを繰り返しながら行き詰まっているなら、一度話しに来てほしい。あなたの中にある答えを、一緒に掘り起こす手伝いをする。それが私たちの仕事だと、27年間ずっと思ってきた。
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