「書くのが怖い」と言っていたJさんが小論文で逆転合格できた本当の理由

「書くのが怖い」と言っていたJさんが小論文で逆転合格できた本当の理由 五十嵐校長コラム

「先生、私、書くのが怖いんです。何を書いても間違えそうで、ペンが止まってしまって」

Jさんが私の前でそう打ち明けたのは、入試本番まで残り3ヶ月を切った秋のことだった。志望校は総合型選抜で小論文が課される私立大学の教育学部。試験日は刻々と近づいているのに、彼女はA4の原稿用紙を前にすると、まるで金縛りにあったように手が動かなくなると言う。

私はその言葉を聞いたとき、正直に言えば「ああ、またか」とは思わなかった。むしろ、胸の奥がじんとした。なぜなら、27年間この仕事をしていると、「書くのが怖い」という言葉の裏に何が隠れているか、すぐにわかるからだ。

「書けない」のではない。「完璧に書こうとしすぎている」だけだ

Jさんは決して頭の悪い子ではなかった。むしろ逆で、読書量が多く、語彙も豊富で、話せば自分の意見をしっかり持っている子だった。私が最初に感じた違和感はそこにあった。話しているJさんと、原稿用紙の前で固まるJさんが、まるで別人に見えたのだ。

そこで私は一つの実験を試みた。「Jさん、今日は書かなくていい。ただ、この問いについて私に話してみて」と言って、その年の過去問のテーマを口頭で投げかけた。「現代の教育において、教師に求められる役割とは何か」。すると彼女は막힘없이——막힘없이は韓国語なので修正します——すらすらと、3分間、自分の考えを話し続けた。論理の筋も通っていたし、具体例も出てきた。

私はその瞬間、確信した。Jさんの問題は「書けない」ことではない。「完璧に書こうとしすぎている」だけだ、と。

これは小論文指導の現場で何百回と目撃してきたパターンだ。27年間で見てきた現場だからこそ断言できますが、小論文で伸び悩む生徒の大半は、能力の問題ではなく、「書いたものが評価される」という恐怖との戦いに負けている。話すときには存在しないその恐怖が、ペンを持った瞬間に牙をむくのだ。

Jさんが変わった「あの日の15分」

私がJさんに提案したのは、シンプルなことだった。「最初の15分は、絶対に誰にも見せない文章を書く練習をしよう」というものだ。採点されない、添削されない、評価されない文章。ただ自分の頭の中にあるものを、思った順番に紙に叩きつけるだけの練習。

最初の1週間、Jさんの「見せない文章」はひどいものだった——と、本人が後から笑って話してくれた。「てにをは」も怪しいし、文章が途中で終わっているところもある。でも彼女はそれでいいと思えるようになっていった。なぜなら、「見せない」と決めているから。

2週間後、私は言った。「そのノート、少しだけ見せてもらえる?」。Jさんは少し迷ってから、差し出してくれた。私がそこで見たのは、荒削りだけれど、確かに「Jさんの言葉」で書かれた文章だった。予備校の参考書に載っているような模範的な表現ではなく、彼女自身の視点と体験から出てきた、生きた言葉たちだった。

私はそのとき、正直に感動した。こういう瞬間があるから、この仕事をやめられない。

小論文で「差がつく」のは、知識量ではなく「自分の言葉」があるかどうか

ここで一つ、本質的なことを言わなければならない。

多くの受験生——そして保護者の方も——は、小論文の点数を上げるためには「知識を増やすこと」「難しい言葉を使えるようにすること」が必要だと思っている。もちろんそれが全く無意味だとは言わない。でも、採点者が本当に見ているのはそこではない。

採点者が見ているのは、「この人は自分の頭で考えたか」という一点だ。

どれだけ流暢な文章でも、どこかで読んだような「借り物の意見」で書かれた小論文は、読んでいてすぐにわかる。逆に、多少表現が荒くても、「この受験生はちゃんと自分の意見を持っている」と感じさせる文章は、読み手の心に刺さる。私自身、模擬試験の採点に関わった経験からも、この差は歴然としている。

Jさんが最終的に身につけたのは、まさにその「自分の言葉で書く力」だった。

本番3週間前、私が見た「別人のJさん」

試験本番の3週間前、私はJさんに模擬試験形式で小論文を書かせた。制限時間60分、テーマは「AIの普及が教育に与える影響について述べよ」。

彼女は一度だけペンを置いた。でもそれは「怖くて止まった」のではなく、「考えをまとめるために一息ついた」という止まり方だった。その違いは、傍で見ていた私にははっきりとわかった。

60分後、Jさんが書いた小論文を読んで、私は思わず「これは通る」と呟いた。完璧な文章ではない。でも、彼女が小学生のときに担任の先生に言われた一言から話を起こし、自分が教師を目指した理由と結びつけ、AIに「できないこと」を具体的に論じる構成は、明らかに「自分の頭で考えた文章」だった。

結果は合格だった。

後日、Jさんのお母さんから電話をいただいた。「先生、娘が合格した日の夜、『小論文って、自分のことを書いていいんだって気づいたら怖くなくなった』と言っていました。本当にありがとうございました」。私はその言葉を聞きながら、受話器を持つ手に少し力が入った。この仕事の報酬は、こういうところにある。

「書くのが怖い」と感じているあなたへ

もしあなた、あるいはあなたのお子さんが今、「小論文が怖い」「何を書けばいいかわからない」という状態にあるなら、一つだけ伝えたいことがある。

それは、あなたはすでに「書くべきこと」を持っている、ということだ。

小論文は、知識を披露する場ではない。自分がどう考えるかを、採点者に伝える場だ。その「どう考えるか」は、すでにあなたの中にある。問題は、それを引き出す方法を知らないか、あるいは「それを書いてもいいんだ」という許可を自分に与えられていないか、そのどちらかだ。

Jさんが怖かったのは、書くことではなかった。「自分の意見が間違っているかもしれない」という恐怖だった。でも小論文に「正解」はない。採点者が求めているのは、あなた自身の論理と誠実さだ。

27年間、1万人を超える受験生を見てきた私が断言する。小論文で伸びる生徒と伸びない生徒の差は、頭のよさではない。「自分の言葉を信じられるかどうか」だ。

スカイ予備校では、Jさんのように「書くのが怖い」という状態から出発した生徒を、毎年何人も合格に導いてきた。もし今、小論文に壁を感じているなら、一度私たちと話してみてほしい。あなたの中にある言葉を、一緒に引き出すところから始めよう。

【五十嵐より追記】
(この記事を読んで思い出したこと、追加で伝えたいことをここに記入してください)
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